右のベット左のベット

右のベット左のベット
                          秋の贈り物


前回、今の私の癒しのお仕事
ニュースキャンとアルティメット・エナジェティクス(UE)に
繋がる歯車が回り始めたお話をしましたが、
ちょっと時間を戻し、入院中のお話を少し。
今考えると、自分でも「良くこの7年間を過ごせたな」
と、自分で自分を褒めて上げていますface01

半年間の入院では最初週一回の輸血と
それと並行して週一回の 
血液を体外に出し、顆粒血を球除去する治療
(GーCUP)で、輸血・治療のたびに発熱し
夜中になると激しい腹痛に見舞われました。
何とか腹痛が和らぎ、治療を終えたのは二か月後でしたが
絶食(108日)も入院当初から続き、病院では
普通食を食べたことが有りません。

半年間、病気や治療に耐えていましたが
その間の入院生活は大部屋でした。
カーテンで仕切っただけの空間で
プライベートはまったく無く、私も含め
病状や家庭環境、家族関係、経済状態まで
筒抜けの中で時間を過ごしました。

ある時期、四人部屋の正面のベットに
同じお年頃のおばあちゃまが
同時期に入院していらっしゃいました。

左側のベットのおばあちゃまは
戦後、満洲から娘盛りなのに男の恰好をして
命からがら引き上げて来て苦労をされたそうですが、
ずっと世間にも家族にも愚痴をおっしゃってました。
「主治医の先生に心付けを渡したが特別扱いをしてくれ無い」
と皆に振れ回っり、いつも眉間に皺を寄せ
口をとがらせていました。

右のベットのおばあちゃまは和やかな顔をされてましたが、
農家にお嫁にいらして長年農作業をして苦労をされて来ました。
おしゃべりをしていると
「今は小学生の孫が帰ってくるのを、日の当たる縁側で
ラジオを聴きながら待っているのが幸せ」とおっしゃって
にこやかに笑われました。
退院が決まり「帰ったら御馳走食べしなきゃね」
と声を掛けると「私は野菜ののったお寿司が好き
だから、それを作ってもらうのが楽しみだよ」
と又にこやかに笑われました。

どちらのおばあちゃまも戦中戦後の動乱の中
ご苦労をして家族や生活を守り就くしお年を召された人生です、
どちらが良い悪いとゆう事では無いのですが
「どっちの人生が幸せかな」と考えさせられる一場面でした。











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